映画「君の名は。」の1分で分かるあらすじ

映画「君の名は。」は複雑で難解

新海誠監督の映画「君の名は。」は大変面白くて感動的なのですが、一度見ただけではさっぱり分かりません。物語は目まぐるしく速く展開し、ついていくのに大変です。二人が入れ替わったり元に戻ったり未来だったり過去だったりと、場所や時間さえもバラバラなので、いつ誰かどうなっているのかを理解するまで一苦労です。

複雑で難解な「君の名は。」ですが、映画を何度も見返したり、新海誠監督自ら書いている「小説 君の名は。」を読んでみると、やっとしっくりきます。『映画を見返したり小説読んだりってそんな時間ないよ』という方のために、なるべく分かりやすく映画のあらすじをまとめました。1分で読めるように、1500字以内で映画の大事なあらましを書いています。

“ネタバレ注意!”となりますので、一度見てよく分からなかった人だけ読むようにしてください。

ネタバレ注意!「君の名は。」の簡単なあらすじ

瀧と三葉が入れ替わる

映画「君の名は。」は東京の都心に住む男子高校生の立花瀧(たき)と飛騨地方の糸守町という田舎に住む女子高生の宮水三葉(みつは)の体が入れ替わる物語です。ずっと入れ替わっているわけではなく、時々入れ替わり、そして入れ替わっているときの記憶は薄れてしまいます。

瀧と三葉が入れ替わってお互い初めは戸惑っていましたが、徐々に慣れてきてルールを作ったり日記を書いたりしながら、互いの生活を楽しみます。特に三葉は宮水神社を守ってきた宮水家の長女であり儀式を行う巫女でかつ糸守町の町長の娘という複雑な立場があるので、田舎の生活に辟易していて、入れ替わる前に「生まれ変わったら都心のイケメンになりたい」などと言っていました。

宮水家は代々男女が入れ替わっていた

入れ替わったら周りの人は意外に気付かないようです。友人たちや家族も今日は変だなと思っても、まさか男女が入れ替わっているなど考えられません。

しかし、三葉の祖母と父は三葉ではないことを見抜きます。宮水家は、祖母と祖父、母と父で入れ替わりを経験しているので、三葉の中に別人がいることを見抜き、それを受け入れます。

二人はお互いに会いに行こうとするが、実際は3年間の差があるため会えない

三葉は瀧のことが気になって飛騨地方から東京に行きます。そして電車の中で瀧を見つけて話しかけるのですが、瀧はまるで三葉のことを知らないようです。実は時間軸が三年間ずれていて、三葉の世界は三年前の世界なので、瀧は三葉のことを知らないのです。

また、瀧も三葉のことが気になって東京から飛騨地方に旅立ちます。詳しい場所が分からないため、三葉に入れ替わっているときに見ていた糸守町の景色をスケッチした絵を色んな人に見せて訊きます。なかなか場所が分からず、諦めて東京に帰ろうとして最後に入ったラーメン屋で、そのスケッチを見た店主が「糸守町だね、なつかしい」と言い、三葉が住んでいたのは糸守町だったと分かるのです。

そして糸守町に行くと、そこは3年前に彗星が落下して多数の死者が出た場所で、行き止まりになっていました。三葉がこの世にはいないことを知り、瀧は呆然とします。

口噛み酒を飲み、3年が巻き戻る

瀧は三葉に入れ替わっていたときに三葉の祖母から聞いた口噛み酒のことを思い出します。口噛み酒とは糸守町の宮水神社の巫女である三葉が米を食べて口から吐いた酒で、糸守町では昔から続く儀式であり、三葉の祖母は「口噛み酒には三葉の半分が入っている」と言っていました。

その口噛み酒を瀧は飲み、その瞬間3年間が巻き戻り、彗星落下の日に瀧が三葉に入れ替わります。

糸守町に彗星が落下する

口噛み酒を飲んで三葉に入れ替わった瀧は、彗星落下から糸守町を救うためにいろいろ行動を起こします。町長である三葉の父を説得することが難しかったのですが、再びここで三葉自身に入れ替わり、父をなんとか説得して町民に避難指示を出すことができました。

こうして糸守町は彗星落下の被害から救われます。

糸守町には1200年毎に彗星が落下していた

糸守町への彗星落下は実は三度目となり、一度目は御神体のある祠付近に、二度目は糸守湖に落ちていて、1200年おきに彗星落下が起きているのです。

宮水家は代々男女が入れ替わって3年先の未来を知ることによって、糸守町の彗星落下による被害を防いでいるのでしょう。

三葉と瀧の再開

彗星落下の日に一度お互いが会うことができ、名前を忘れないと誓うのですが、結局は忘れてしまいます。

糸守町の被害を救った数年後、相手の名前やその存在すらも忘れて日常を過ごしている二人ですが、偶然出会ったときに運命的なものを感じ、「君の名前は」と尋ねます。これが有名な四ツ谷の須賀神社のシーンです。そしてそれが結末となっています。

映画「君の名は。」のメッセージは?

ここからはあくまで私の推察・考察となります。人それぞれ感じ方は違いますし、映画の解釈も色々あると思いますので、あくまで参考程度に留めておいてください。

すべては意味があること

糸守町を彗星落下の被害から守るために宮水家では代々入れ替わっていました。三葉の母は三葉の父と昔入れ替わっていたようです。しかし三葉の母は若くして亡くなってしまい、そのことで三葉の父は宮水神社から出て政治の道を歩み、糸守町の町長になりました。三葉の父は町長になったから彗星落下の被害から糸守町を守ることができました。つまり、三葉の母が亡くなったこと、三葉の父が町長になったことは意味があったのです。

自分が生まれたことや生きていく意味が分からないと考えることがあると思います。そのときにこの映画を思い出してください。かすかなことでも周囲に影響を及ぼして意味を成すのです。自分自身が存在することできっとどこかで誰かは影響を受けているでしょう。

偶然が重なって私たちは今ここにいる

1200年毎に糸守町に彗星が落下することも、宮水家の男女が入れ替わることも、三葉の母が死ぬことも、三葉の父が町長になることも、三葉が瀧と入れ替わることも、すべてが運命によって決まっていたということになります。

私たちは生まれてから学校や職場、趣味の場などで様々な人たちと出会い、どこかの誰かと恋をします。しかし、もし一学年違っていたら、もし違う仕事に就いていたら、その相手とは出会わなかったかもしれません。いくつもの可能性がある中で、私たちが今ここにいて相手と出会うことは奇跡的な確率なわけです。運命というか奇跡というか、偶然が重なって、すべてが成り立っているのです。

彗星落下から町を救えなかったという道もあれば、町を救えたという道もあります。そのように、運命は変えることができます。様々な選択肢や可能性から、私たちは自分たちの道を歩んでいるのです。

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